本坊商店が蔵元へ依頼して造った逸品焼酎

プライベートブランド
本坊商店が蔵元へ依頼して造った逸品焼酎
軸屋酒造(じくやしゅぞう)
紫尾山

軸屋酒造(じくやしゅぞう)

 鄙びた、という言葉には、特別にふくよかな趣がある。ひっそりと静かだが、それでいて、季節の花があちらこちらに咲いているようなのびやかな山間の里。今回訪ねた軸屋酒造(じくやしゅぞう)の蔵も、鹿児島県北部にある霊峰・紫尾山の懐に抱かれた、鄙びた風景の中に佇んでいた。

軸屋酒造

 軸屋酒造の初代は、軸屋権之助氏。現在の杜氏・軸屋新太郎氏は、3代目にあたる。記録として残っているのは、明治43年に役所へ出された創業届。つまり、軸屋酒造は、少なくとも約100年間は、この地で焼酎を造り続けていることになる。

 軸屋酒造が造っている本格焼酎「鄙の蔵人(ひなのくらびと)」。初めて飲んだとき、品のよい甘みに支えられた奥行きのある味わいと、すっきりした飲みやすさが共存していることに驚いたものだ。例えるなら、可憐な白い花のような控えめな華やぎ、といったところだろうか。

 軸屋新太郎氏にその不思議な魅力を持つ味の秘密を尋ねると、優しい目で笑いながら、初代の名を冠した手造り蔵・権之助甕蔵(ごんのすけかめくら)を案内してくれた。

権之助甕蔵

 天井が高く、重厚な木造りの権之助甕蔵。ほの暗い中に、焼酎甕がずらりと埋められている様子が目に入る。「今から甕を開けます」と杜氏。若い蔵子がきびきびと動き、柱に大きな照明を設置して、強い光で甕を照らす。杜氏は甕の口に顔を近づけ、貯蔵されている焼酎の上澄みに目を凝らす。そして、小さな柄杓で、慎重に何かをすくい始めた。「これが焼酎油をとっているところです」と説明してくれた。

 焼酎油とは、原料の脂肪分に由来するもので、2月ごろまでの気温が低いうちは、うっすらと白く固まるので、その部分を手ですくい取ることができる。油を取りすぎるとうま味や個性がなくなってしまうし、残りすぎると香りの邪魔をする。これがなかなかの曲者なのだ。ろ過して取り除く方法もあるが、軸屋酒造ではすべて手作業。この“手加減”が、味の深みと個性を生むと考えているからだ。

検味

 「鄙の蔵人」は、米麹で、黄金千貫という芋を使って仕込みをする。麹の種類は、やわらかさと繊細さを持つ白麹。水は、仕込み水からわり水まで、紫尾山の清く澄んだ伏流水を使っている。硬水に近いという成分は、焼酎の個性を出すのに一役買っているようだ。

 「鄙の蔵人」の控えめながら華のある奥行きのある味の秘密は、うま味をしっかり出すように製麹された米麹、黄金千貫のふくよかな甘み、伏流水の凛々しさ、そして、油とりの技に象徴されるような長年受け継がれてきた伝統が現代に生かされているからなのだろう。口にふくんだときに脳裏に浮かんだ白い可憐な花のような、というイメージは、もしかしたら、「糀」とも書くという「麹」が、白米に白い花を咲かせた記憶が、手作業で大切に守られ、そのまま焼酎に残されていたからかもしれない。

軸屋新太郎氏

 平成9年に、この一帯を大きな地震が襲った。壊滅状態になった蔵を見て、一度は家業を諦めかけたこともある、と軸屋新太郎氏。しかし、地域や仲間、そして家族の協力があり、何とか再起することができた。最近、地震以来使っていなかった古甕をもう一度活用しようと点検を始めた、とうれしそうに話す。

 「うちは少規模でいいから、当たり前のものを丁寧に造りたい」と穏やかに話す言葉には、辛い時期を乗り越えて、改めて焼酎を造り続ける喜びを知った人の覚悟があった。「鄙」に誇りを持ち、個性のある焼酎を求めて、紫尾山の麓の蔵では、今日も焼酎が造り続けられている。


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