本坊商店が蔵元へ依頼して造った逸品焼酎

プライベートブランド
本坊商店が蔵元へ依頼して造った逸品焼酎
老松酒造(おいまつしゅぞう)
白砂青松の海岸線

老松酒造(おいまつしゅぞう)

 海のある町というのは、その地に足を踏み入れただけでも、不思議と明るくのびやかな空気があるものだ。鹿児島県東南部にあり、湾に面した7キロにも及ぶ白砂青松の海岸線をもつ大崎町もそんな町のひとつ。その美しい松原が名の由来という老松酒造(おいまつしゅぞう)は、この町の一角で焼酎を造り続けている。

老松酒造(おいまつしゅぞう)

 明治34年創業の老松酒造。現在の代表取締役・松永信氏で4代目となる。事務所のドアを開けると、静かな微笑みで迎えてくれた紳士が、その松永氏だった。

 老松酒造が造っている本格焼酎「薩摩追風(さつまはやて)」。すっきりとした香りに誘われて口に運ぶと、軽やかな飲み口ながら、まろやかな中に、洗練されたうま味が凛と通り抜ける。ただ飲みやすいだけの焼酎にとどまらない、さりげない主張が何とも憎い。品の良い遊び心を感じさせる個性派。この焼酎の杜氏とは、どんな人なのだろう。

松永信氏

 「うちは杜氏がいないから」という松永氏の一言にまず驚いた。もともと蔵は、別の兄弟が継ぐという約束で、松永氏は東京の大学で全く違う分野の勉強をしていた。しかし、状況が変わり、今から30年以上前に帰鹿して、家業に携わることとなった。

 実は最初は焼酎が飲めなかった、と穏やかな表情で笑う松永氏。スコッチやバーボンが好きだったという氏は、当時の焼酎の “こげくささ”が気になり、なかなか手が伸びなかったという。

 若き氏は、当時蔵を取り仕切っていた杜氏から基本を学ぶと共に、自分が美味しいと思う味を目指し、慣習にとらわれずに積極的に改良。やがて、蔵の焼酎造りの中心となり、現在の酒質のベースを作り上げた。

 「焼酎造りは、化学的にデータをとること、そして、経験で培った勘を働かせることのどちらも大切」と松永氏。冒頭の「杜氏がいない」という言葉も、基本理論はしっかりと押さえながらも、昔ながらの方法にとらわれずに遊び心を持って楽しみながら取り組む、という意味だったのだろう。

蔵付き麹

 「薩摩追風」が仕込まれる蔵を見せてもらった。古いながら、隅々まで清潔に整えられた空間には、心地よい静寂があった。窓から射す柔らかい光に照らされた石壁には、黒い小さな斑点のようなものが無数に浮かぶ。「蔵付き酵母です。これがないと、老松の味にならない」と松永氏は微笑んだ。見上げれば、高い梁にも、酵母がうっすらと浮いていて、100年の歴史の一端を垣間見た気がした。

 伝統と革新。基本と遊び心。二つの相反するものが、うまく解け合ってこそ、魅力ある個性が生まれるのだと感じた。

芋むし器

 「薩摩追風」の芋は黄金千貫。「薩摩追風」に限らず、老松酒造の使用する芋は、すべて良質の鹿児島県産のものだけを使用している。また、この焼酎は、黒麹と白麹の原酒を混ぜ合わせてバランスをとったタイプで、芋の香りを抑える黒麹で飲みやすさを、うま味を引き出す白麹でコクと深みを出している。黒麹だけ、白麹だけという形にとらわれていないところが、この酒の魅力につながっている。水は、岩盤を通ってきた地下100メートルの深さから汲み上げてきた霧島山系の伏流水を使用。すっきりと透明感のある味を支えている。
 そして、「薩摩追風」には、もう一つの味がある。開聞紫芋を使った珍しいタイプだ。優しい香りと軽やかに広がるまろやかさが特徴。黄金千貫と紫芋、二つの味わいを飲み比べてみるのも面白そうだ。

 蔵を取材して事務所へ戻ると、颯爽としたパンツスーツで、営業へ出かけた女性がいた。松永氏の娘さんで、蔵の跡を継ぐ意思を持っているという。「私の代で老松も最後かと思っていたんですが」と松永氏は少しうれしそうに微笑んだ。今、娘さんに出されている課題は、「自分自身の好みの焼酎を造る」ということ。緻密に、かつのびやかに、遊び心のある美酒を造るDNAは、新しい世代へもしっかりと受け継がれていくようだ。


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